レーシック 視力回復手術 助兵衛の随筆 宗教

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のろいやオカルトは自滅をまねく。

どうも私のまわりに言葉にこだわりすぎる人間が多い気がする。
人にちょっとでも悪口かなにか言われるときにしすぎるひとたち。
他人になにをいわれようが自分の本質、心はいっさい変わらないことをわすれてはいないか。
あまつさえ言葉になにか力があると思っている人もいる。
日本でいうと言霊や呪いというやつだ。
原始宗教のオカルト。
まったく意味がないとも思わないがほとんど迷信であり、それを信じることのマイナスがおおきい。
人を呪ったり、なにか自分の欲望(金、出世)をつよく願っても意味などない。
むしろエゴが強くなりすぎて自滅をまねくであろう。
人間の意志、エゴなど真理の前には卑小なものだ。
人間の魂は真理にしたがったときにのみかがやく。
人間の言葉は不完全なものということを忘れていけないだろう。
仏教ではお経でさえ悟りを開いた後は忘れるべきだとしている。
言葉の教えは彼岸に渡るための乗り物なのだ。
他人からなにを言われようと自分の本質は変わらない。
自分がどう考えようが、自分の本質も変わらない。
宗教の教え、お経、四書五経、聖書、コーランですらもうのみにすれば原理主義者とよばれおそろしい外道におちる。
わたしの文章などまさにチラウラでしかないだろう。
天上天下唯我独尊、人間はだれもたった一人しかいない存在なのである。
それを忘れてしまい自分を見失ってしまうことこそおそろしい。

テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

とらわれてはいけない

ドイツではいまだに激しいナチス規制を行って国民の表現の自由を規制しているようだ。
最近ではP&Gの洗剤のラベルに18と88という数が表示されていたとして出荷停止になったと報道していた。
ナチスの後継団体ネオナチにとって18と88は特別な意味のある数字のようだ。
私にはこの規制は馬鹿げているようにみえる。

私はこの話を聞いて演歌を思い出した。
ナチス規制と日本の演歌、縁がないようだがあるのである。
わたしがおもいだしたのは、千昌夫さんの望郷酒場だ。
「おやじみたいなヨー 酒呑みなどにならぬつもりが なっていた.」である。
酒ぐせのわるいおやじが嫌いでおやじみたいにならないつもりでいてもおやじのようになっていたということだろうか。
私はこの歌詞にすごい共感している。

ナチスやネオナチが仮に完全な救いようのない悪だとして、それを規制することは善なのだろうか?
私はそうは思わない、同じ過ちをくりかえしているだけだある。
これが人間のおもしろいところである。
嫌いな人間がいるとしてその人間に反抗したからといって人生豊かにならないのだ。
むしろ嫌いな人間にとらわれた不幸な人生をおくるだろう。
嫌いなおやじに反抗してみても、おやじとはまたちがったアホになるだけなのだ
馬鹿の反対も馬鹿だったりする。

私は最近岩波書店の中村元・紀野一義訳注の「般若心経 金剛般若経」を読んでいる。
この本は日本語でお経が読めるすぐれものです。
お経はくりかえしなにごとかにとらわれてはいけないと説いている。
ドイツのナチス規制を見ていてそれを思い出しました。
はげしい規制、差別よりも寛容こそ大切ではないだろうか。
とらわれてはいけない、合掌

テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

私の悟り体験

私が悟りを開いたと感じた出来事を書きます。
それは2009年4月ごろだったと思います。
私はある薬の副作用からひどいアトピー性皮膚炎をおこして苦しんでいました。
顔や手や目、体中にしっしんができました。
夜ひどいいたみとかゆみで眠れず、外にでるとちょっとした風にふかれるだけで気が遠くなるような激痛を感じました。
関節や指がひどくかぶれのばすことができなくなりました。
目からもアトピーの汁がでてきて、視界がせばまりピントがあわせづらくなりました。
目が良く見えずに関節がうごかしづらくなる、ちょうどお年寄りになったようなかんじだとおもいます。
仕事も休まなければいけなくなりました。
病院にいったもののアトピーをかんぜんになおすことは現在の医療ではできません。


ある夜私は皮膚炎の非常な苦しみにのたうちまわっていました。
眠れない中こんな苦しみが一生続くのだろうかと思いました。
あたまに自殺という文字もうかんできました。
心身ともにかなり追い詰められたそのときです。
この問題の根源は自分の精神にあると直感的に感じたのです。
その瞬間自分はまちがっていたと素直に認められました。
それまでも自分の生き方はまちがっていたのではないかという思いがわいてくることはあったのですが、ガンコに自分のやり方に固執していました。
私は自分のエゴにしがみついていたのです。
悟りをひらいたのちは自分の今までの生き方はなんとむなしい人生だったろうと感じました。
金や名誉をむやみにおいまわし、他人にふりまわされ続けたおろかな生き方をしていました。
自分は世界に一人しかいない存在なんだ、それをつよく感じました。
仏教でいうところの天上天下唯我独尊です。
不思議なことに悟りをひらいたときに色即是空、空即是色という般若心経の一節を思い出しました。
そしてその意味が直感的に理解できたのです。
わたしがはじめて般若心経にであったのは、京都に修学旅行へ行ったときに般若心経が書いてある扇子を買ったときです。
悟りを開くまえは仏教をはじめあまり宗教に関心はありませんでした。
般若心経もほとんど読んだことがなかったのに不思議な体験をしました。
さとり体験をしたのちは東洋哲学の本や宗教書を読んだり寺や教会へ行くようになりました。
宗教書を学んで歴史上の宗教者が体験した悟りや神秘的な体験が自分の体験とよく似ていることにおどろきました。

私は自分のアトピー性皮膚炎の原因は神経質な自分の性格にあったと思います。
それ以来心を抑圧して神経質に物事を考えすぎるのをやめて自分の心を大切に生きるようにしました。
すぐにはアトピーは治りませんでしたが、一年たらずで日常生活が快適にすごせるくらいに治りました。
今でもアトピーは完治しておらず、ヨガをやりすぎたときや疲れがたまったときなどに再発します。
おそらく二十年以上は不健康な精神状態で生きてきたので治るとしてももかなり時間がかかるのかなとおもっています。
悟りを開いて道を知ったからといっても人生ばら色になるわけではありません。
しかし若いときから感じていたもやもやが晴れたことはありがたいことだと思っています。

テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

真の宗教者とはだれか?

「キリスト教の特徴として挙げられるのは組織としての教会に属している名目上の自称キリスト教徒が、その生活や考え方において真のキリスト教徒とはいいがたく、逆に教会に属さない多くの人々がほんとうのキリスト者であり、それどころかキリスト教以外の宗教を信じる人たちの中にもキリスト教のもつ宗教的価値をきわめて深く理解している人たちが多数いることである。」
エルンスト・ベンツ
宗教改革―ルター、カルヴァンとプロテスタントたち (「知の再発見」双書)より引用



読んだ本におもしろいことが書いてあったのでみなさんにご紹介。
ベンツ博士おもしろいことを言っていると感じた。
キリスト教徒は真理に忠実でごまかさない。
そして真理は、ゆがんだ心をもった人間にショックを与える。
キリスト教にかぎらず宗教とは人類普遍の真理の教えなので、キリスト教のおしえを仏教徒が深く理解していたとしてもおかしくない。
キリスト教にかぎらず専業の宗教者の中には、真の宗教者とは言えないものもいる。
そして一見宗教とは無関係の人生を送ってきた人の中にも真の宗教者はいる。
私はここに人間の魂、心の玄妙にして神聖なところをみる。
悟りを開けるものとそうでないものにはいったいどんなちがいがあるのだろうか?

テーマ : 哲学/倫理学
ジャンル : 学問・文化・芸術

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怒助兵衛

Author:怒助兵衛
エッセイスト。
随筆はじめました。
マスコミが書けないタブー書きます。
政治経済、歴史、娯楽など気の向くままに随筆を書いていきます

Twitterもやってます。
@ikari_sukebei

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