レーシック 視力回復手術 助兵衛の随筆 聖書やお経なぜ感動するのか。

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聖書やお経なぜ感動するのか。

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画像 ローマ皇帝ウェスパシアヌス(9-79)の石膏像

Wikipediaの「新約聖書」に新約聖書にはローマ皇帝ウェスパシアヌスを称揚するために流布された奇蹟譚と同じものが多いと書かれている。新約聖書を書いた人はローマ皇帝を称揚するための話をイエスキリストにおきかえたのだろう。目的はもちろんイエスキリストをほめたたえるためである。ウェスパシアヌスがローマ皇帝在位の時はまだキリスト教は小さな組織だったにちがいありません。ローマ皇帝が大金と大勢の人々を使って製作したプロパガンダストーリーをぱくって自分のものにしてしまうあたり当時のキリスト教徒の機転と知恵を感じます。キリスト教の特徴として積極的に布教活動を行うことがあります。聖書は人々の心をつかみ伝道するための大切なツールだったことでしょう。聖書学をすこしばかりかじってみたところ、新約聖書から当時多数の宗派に分かれたキリスト教徒たちの対立が見えるそうな。新約聖書を書いた人が敵対するグループへの批判を新約聖書に書いているという。一番本当のことが書かれているといわれる新約聖書のパウロ書簡を見ても信者同士で対立があったことがうかがえる。新約聖書にはフィクションが書かれていたり、キリスト教のグループのプロパガンダも含まれているのだ。

新約聖書にかぎらず敵対するグループへの攻撃や教祖をもちあげるためのデマなど政治的な生臭い内容も宗教書にはつきものだ。宗教を批判する人の多くは宗教の迷信や嘘を批判する。たしかに迷信や嘘は存在するが、それは宗教書のほんの一部だ。そこに真理があるから宗教書は長い歴史の中淘汰されずに生き残ってきたのだ。宗教書を読んで迷信や嘘しか読み取れないとしたら、それは宗教書のほんの枝葉末節しか理解できていない。最近中国の古典「荘子」を読みかえしてみたのだが何回読んでも不思議と感動する。荘子の前に読んだ外山滋比古『思考の整理学』はなかなかいい本だったが、荘子に比べれば残念ながらかなり見劣りする。宗教書は言語や国、人種、性別、時代の違いを超えた感動を読者に与えてくれる。真理を理解し愛する人々が宗教書をリレーで後世に伝えてきた。2千年前に外国で言語も文化もちがう人が書いた本を日本人の私が読んで感動する。それこそまさに真理が存在するたしかな証ではないだろうか。
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怒助兵衛

Author:怒助兵衛
エッセイスト。
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