ドイツではいまだに激しいナチス規制を行って国民の表現の自由を規制しているようだ。
最近ではP&Gの洗剤のラベルに18と88という数が表示されていたとして出荷停止になったと報道していた。
ナチスの後継団体ネオナチにとって18と88は特別な意味のある数字のようだ。
私にはこの規制は馬鹿げているようにみえる。
私はこの話を聞いて演歌を思い出した。
ナチス規制と日本の演歌、縁がないようだがあるのである。
わたしがおもいだしたのは、千昌夫さんの望郷酒場だ。
「おやじみたいなヨー 酒呑みなどにならぬつもりが なっていた.」である。
酒ぐせのわるいおやじが嫌いでおやじみたいにならないつもりでいてもおやじのようになっていたということだろうか。
私はこの歌詞にすごい共感している。
ナチスやネオナチが仮に完全な救いようのない悪だとして、それを規制することは善なのだろうか?
私はそうは思わない、同じ過ちをくりかえしているだけだある。
これが人間のおもしろいところである。
嫌いな人間がいるとしてその人間に反抗したからといって人生豊かにならないのだ。
むしろ嫌いな人間にとらわれた不幸な人生をおくるだろう。
嫌いなおやじに反抗してみても、おやじとはまたちがったアホになるだけなのだ
馬鹿の反対も馬鹿だったりする。
私は最近岩波書店の中村元・紀野一義訳注の「般若心経 金剛般若経」を読んでいる。
この本は日本語でお経が読めるすぐれものです。
お経はくりかえしなにごとかにとらわれてはいけないと説いている。
ドイツのナチス規制を見ていてそれを思い出しました。
はげしい規制、差別よりも寛容こそ大切ではないだろうか。
とらわれてはいけない、合掌
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テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学