レーシック 視力回復手術 助兵衛の随筆 反省しない人間はどうなってしまうのか?

反省しない人間はどうなってしまうのか?

旧約聖書には有名なアダムとイブが善悪の知識の実を食べてしまい神の怒りにふれ楽園から追放される有名な話がある。
中国の古典「荘子」にも渾沌(こんとん)という人間の知恵をテーマにした話があります。
人間が知恵をみにつけたはいいが、それゆえに神から遠ざかってしまうという話の内容が一緒である。
東洋、西洋どちらにも人間の知恵のあやうさの神話、寓話があるというのは興味深い。

仏教では人の心のありかたとして無心が良いとされる。
反対に我が強い人間は徳が低いとされる。
我が強い人間というのは自分は賢いとおもっている思い上がった人間だ。
なぜ無心がいいのか、我が強い人間はだめなのか?
私も自分の人生の経験上、我が強いとおろかな行動をとってしまうと感じています。
我が強い人間は本当の自分を見失ってしまうからです。

これはある程度科学的に解明できる話だと思う。
我が強い人間の悪いところのひとつに物事をゆがんでみてしまうということがあると思う。
我が強いというのは言い方を変えると偏見を持っているということだ。
そして物事をゆがんでみているということは、現実を素直に受け入れる力に欠けるということ。
ひねくれた我が強い人間は、時間がたてばたつほど心の中がまちがった思い込みと偏見で満たされていきます。
どんな人間でも偏見やまちがった思い込みをもってしまうものだと思います。
だから人間は時折わが身をふりかえり反省する必要があるのです。
それはあたかもさびがついた刀をとぐようなものです。
人の心もメンテナンスをおこたると、刀や包丁のごとくさびだらけとなってしまいます。
あまりにも偏見という名のさびが心についてそれをほうっておくと、人間はさびが心なのか刀身が心なのかわからなくなってしまいます。
反省しない人間はこうして偏見やまちがえた思い込みを自分の心だと勘違いするようになりそれにしがみつくようになります。
さびだらけの心はあたかもさびた機械のように固くなり動きもわるくなります。
人間だれしも勘違いしたりまちがいやかんちがいをします。
それを改めずに長い時間放置しておくと、心のさびと偏見はすごい量になってたまります。
心がさびだらけになるとと精神的には異常な状態になり肉体的にも悪い影響がでます。
なにしろまちがった思い込みや偏見が自分の心の一部になってしまうわけですからまともな判断ができるわけはありません。
心も定期的に掃除することが大事です。

仏教、儒教、キリスト教で折にふれて反省することや、頑固な心を戒め柔軟に変化することをすすめているのはそのためです。
人間の知恵はすばらしいものですが欠点や副作用があることを偉大な先人たちは気づいていました。
これは現代に生きるわたしたちにも通じるすばらしい知恵です。
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テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

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怒助兵衛

Author:怒助兵衛
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