レーシック 視力回復手術 助兵衛の随筆 なぜ行間を読なければいけないのか?

なぜ行間を読なければいけないのか?

行間を読むという言葉がある。
ネットでもよく見かける言葉である。
ネットで国語辞書をひいてみると筆者が直接書いていないことを感じ取ることと書いてあった。

しかしこの言葉ほど神経質な人間にとってわかりづらい言葉はないだろう。
私はこの行間を読むという能力が一番必要とされるのは宗教書を読む時だと思う。
聖書や仏教の経などの宗教書に書いてあることをそのまま受け取ると大変なことになる。
昨今問題になっている原理主義者になってしまうからだ。
本来宗教を学ぶのは道にかなった聖人になるためであるだが、原理主義におちいると逆に外道におち悪魔となる。
宗教書ほど行間を読むことが必要とされる書物はないかもしれない。

悪しき原理主義者の例をあげると、宗教書に忠実であろうとするあまりテロリストになる例があるだろう。
ユダヤ教の一部の信者は安息日に働いている救急車に石を投げるものがいるという。
ユダヤ教では安息日は働いてはいけない日と戒律でさだめられているからである。
ユダヤ教にかぎらずイスラム教、キリスト教、仏教などどの宗教も多くの原理主義者がいるにちがいない。
宗教団体に属していないものでも原理主義者はいる、イデオロギーの教信者たちは原理主義者にちかい。
宗教やイデオロギーなどというおおげさなものではなくても、まちがった偏見に固執してしまう人は日本人に多い。

なぜ行間を読まなければならないのか?
それは本、書物は触媒のようなものだからだ。
本は読者の心を変化させるため、成長させるために存在している。
宗教書も行間を読まなければならないが、コンピューター関係の専門書もそうである。
私はコンピューターエンジニアなのでしばしばそういった文章を読むが、筆者が言いたいことはなんなのか?
受け身で本を読むだけでなくこちらから作者の言いたいことをさぐらなければならない。
受け身になって書いてあることを機械的に理解すればいいというわけではないのだ。
いわゆるむずかしい本を読む時、読者はいっそう行間を読まなければならない。

行間を読むにはどうしたらいいのか。
それは自分の心との対話にちかいのではないか。
本という触媒に刺激されてこくこくと変化する自分の心を読むのだ。
そうすれば本の作者の魂、真意を感じることができる。
答えは自分の心の中にある。
行間を読むには自分の心と対話する力が必要だ。
なぜ行間を読まなければならないかといえば人間の言語は真理をあらわすには不完全なものだからでしょう。
宗教の真理や科学のむずかしい概念をあらわすときにとくに言語の限界を感じます。
キリスト教の聖書にしろ仏教のお経にしろすばらしいものだと思いますが、それはヒントにすぎないのです。
真理は人の心のなかにあるのです。
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テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

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怒助兵衛

Author:怒助兵衛
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