大学で社会学という学問は「個人と組織(社会)の関係を考える学問である。」と教わった。
習ったときはいまいちぴんとこなかったが、社会人になり会社に属するようになって意味が分かった。
たいていの人間は国や家族や職場、友人関係といったいろいろな組織に属するが、必ずと言っていいほど個人と組織の利益は対立する。
例えばサラリーマンだったら会社という組織に属するわけだが、そのケースで考えてみよう。
会社は利益をあげるためにサラリーマンを安く長時間こきつかいたい、サラリーマンは楽して給料もらいたいというのが一般的な考え方だ。
会社(経営者、株主)とサラリーマンは対立しているのだ。
会社の力が強すぎるとサラリーマンは奴隷になるし、サラリーマンの力が強すぎると経営を圧迫して会社はつぶれてしまうかもしれない。
昭和の日本人サラリーマンは会社のために奴隷のごとく働くことを強制された。
妻や子供もかえりみず家庭を捨てることを強制された。
結果離婚や子供の非行など多くの問題がおこった。
最近熟年離婚が増えているというが、会社の奴隷になって家族を捨てたサラリーマンのいきつく悲しい終着駅である。
人間は組織とは一定の距離を置かなければならないのだ。
個人としての生活、権利を安易に捨ててはならない。
社会学が「個人と組織(社会)の関係を考える学問である。」というのはそういうことだ。
組織の奴隷になった先に待ち受けるものは個人としての生活の死である。
人間は組織に属さなければ生きていけないが、けっして組織の奴隷になってはいけないのだ。
個人としての自分、家庭の中での自分、職場での自分、人はいろいろな顔をもつがそれぞれバランスをとりながら生きていくほうが良いのではないか。
職場での自分ばかりに重きをおきすぎると、家庭と個人としての生活が崩壊するのである。
社会学はそういったバランスをどうやってとったらいいのか研究する学問だ。
日本人が真に豊かな生活を手に入れようとするならば、社会学がもっと必要とされるだろう。
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