レーシック 視力回復手術 助兵衛の随筆 諱(いみな)

諱(いみな)

日本では江戸時代まで多くの人が諱(いみな)と字(あざな)を持っていた
普段その人に話しかけるときは字で呼びかけていた、諱は忌む名ということでその名前で呼びかけてはいけません
東アジアの漢字圏でこういった文化があったらしい、詳しくはWikipediaにのってます

我々現代の日本人は戸籍制度のもと名前は一つしかないですよね
この戸籍制度は明治時代から始まったものです

ちょっと話がそれますが維新の志士「西郷隆盛」ご存知ですよね、この名前本人の名前じゃありませんよ
西郷隆盛は西郷隆盛にあらず!
我々の知っている西郷どんは西郷隆永が本名(諱)で、吉之助が字です
西郷が明治時代になって友人の吉井友実に自分の本名登録させたところ間違えて父親の本名(諱)登録してしまったんです
友人とはいえ、本名(諱)はしらないのが普通だったんです
ちなみに板垣退助の退助は字(通称)、伊藤博文の博文は諱(いみな)だそうです
明治時代に戸籍制度が始まり名前をひとつ登録する際に字を登録する人、諱を登録する人それぞれいたわけです

日本史を勉強していくと、昔の日本人はいろいろ名前を持っていてややこしいですよ
われわれが知っている日本史の人物名は諱ですから、書物や手紙にその名前がストレートにでてくることはまずないわけです

イギリスの映画ハリポッターで敵対する闇の魔法使いヴォルデモートのことを「名前を言ってはいけない人」って言ってたけどイギリスにも諱(いみな)のような風習があったのかな

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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私の、大好な記事で、面白く読ませてもらいました。
博文は、幼名が、狂介でしたか?面白い名をつけるものですね。
養子制度も興味有りますね。家柄の格式を重んじる時代、立ったのですね。楽しかったです。

荒野鷹虎さんへ

毎回のご訪問ありがとうございます
狂介は山県有朋の通称だったような気がします
養子制度は江戸時代の幕政の転換点にもなりました
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怒助兵衛

Author:怒助兵衛
エッセイスト。
随筆はじめました。
マスコミが書けないタブー書きます。
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