レーシック 視力回復手術 助兵衛の随筆 2017年08月
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テニス、人のためにならぬ嘘

ここ2年くらい健康のためにまたテニスをやっています。けっこう本格的に競技志向でやっていてシングルスメインで試合なんかもでています。
テニスやってるといろいろ考えさせられることが多いです。テニスは試合の時にセルフジャッジといって自分で審判をしながらやります。これがけっこうむずかしい。まずスコアを忘れたりします。長いポイントで苦しかったり、夏とんでもなく暑い場合によく忘れます。たぶん脳が酸欠になるのでしょう。まあそのへんはしょうがないところがあるのですが、相手が弱かったりサーブが入らなかったりする場合にフォルトやアウトをちょっとおまけしてインにしてやろうかなどと思うことがあります。これは良くないです。相手にするとアウトだったボールをインにされると、フィードバックが狂います。アウトの感覚をインだと覚えてしまうわけです。結局機械的に正しく正直にジャッジすることが相手のためにもなります。変に気を使ってアウトをインにするのは実はおためごかしなんじゃないかと思うようになりました。

あいだみつをの詩「その人」にこうあります。

その人の前にでると
絶対にうそが言えない
そういう人を持つといい


まさしくテニスのフェアプレーの精神そのものといった気がします。ジャッジで嘘を言わない人こそ本当に自分のためになる人なのです。そしてそういう嘘を言わない人と友人になるためには、自分も嘘をいわない人にならなければなりません。嘘を言ってアウトボールをインにする友人より、本当のことを言ってくれる友人を愛せますか。またそういう友達を持っていますか。テニスをやっていると心も鍛えられます。本当は人間がテニスを含めスポーツをやるのは、こういった哲学や宗教を学ぶためなのではないでしょうか?テニスを含めスポーツというのは勝った負けたで一喜一憂するためにやっているのではないと思います。スポーツをするということは貴重な人生経験、人生を学ぶということなのです。
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アーネスト・サトウは国家神道をどう見ていたか。

本「アーネスト・サトウ神道論」におもしろいことがのっていたので、みなさんにご紹介します。

●天皇服従は政治的強制であって宗教ではない。
日本人の至高の道徳的義務は天皇の命に服することだが、それは宗教ではなく政治的強制にすぎないとしていること。神道は古代の人々の自然崇拝・祖先崇拝であるにすぎないのに、明治新政府はこれを国の宗教として位置づけているが大きな無理があると指摘している。また明治新政府が国家神道として仏教より高く位置づけたこの神道は、やがて天皇絶対制思想として先鋭化していったのであるが、明治初期においてサトウをはじめ西欧人たちはその政治的役割を早くも示唆していたのである。


アーネスト・サトウ神道論296,7Pより抜粋
アーネストサトウ、庄田元男編訳

上記の抜粋は庄田元男氏がサトウの神道論文や日本アジア協会の会員たちの神道理解を詳細に読んだうえで、彼らの神道理解をまとめたものの一部である。明治初期すでにサトウが国家神道のほころびを指摘していたことにおどろいた。そしていまだに明治政府がつくりあげた天皇への絶対服従は日本人の精神文化に巣食っている。サトウは天皇の命に服することは、政治的強制であるにすぎないと言っている。政府のいうことにしたがっているだけでは、権力者への盲従なのであるのは当然だ。そこにいかなる正義もないし、宗教や哲学でもない。それを権威づけたのが新明治政府が作り上げた国家神道である。
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怒助兵衛

Author:怒助兵衛
エッセイスト。
随筆はじめました。
マスコミが書けないタブー書きます。
政治経済、歴史、娯楽など気の向くままに随筆を書いていきます

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