レーシック 視力回復手術 助兵衛の随筆 2014年02月

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なぜだめ人間はひとのわるぐちばかりいってしまうのか?

日本ではだめなやつは人の悪口、陰口をよくいうってよく言われる。
だめなやつは他人のことがきになってしょうがない。
だから人のあら、欠点がきになってしまうのだろう。
おなじようにだめなやつは、他人をよくねたむ。
他人のことをきにしてばかりいて肝心の自分の欠点はおるすになってしまうのも問題だ。

徳のあるひとは自分のことをしっかりやるので忙しい。
自分のことをしっかりやって生きるというのはなかなか大変なのだ。
彼らはいい意味で他人のことを気にしていない。
自分がよく生きることができればそれが他人にとっても一番いいのだ。

だめなやつは自分の外のことにあやつられる。
他人やら金やら名誉やらに右往左往する。
徳のある人は心のままに生きる。
他人や名誉や金など外のことにわずらわされず自分の人生を生きることができる。

禅では自分のことをしっかりやることを大事にする。
禅の公案集無門関には毎日「主人公生きているか」「他人にだまされていないか」と自問自答する禅僧の話がでてくる。
昔から他人や金、名誉などの外物にとらわれて生きている人は多かったのかもしれない。
そういうだめなやつは他人をそねみねたみながら、びくびくとして毎日をすごしていたのでしょう。
現代にいきるわれわれもたまには「主人公生きているか」「他人にだまされていないか」と自分の心に問いかけてもいい。
自分の心を見失ってしまうことほど悲しいことはない。
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テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

反省しない人間はどうなってしまうのか?

旧約聖書には有名なアダムとイブが善悪の知識の実を食べてしまい神の怒りにふれ楽園から追放される有名な話がある。
中国の古典「荘子」にも渾沌(こんとん)という人間の知恵をテーマにした話があります。
人間が知恵をみにつけたはいいが、それゆえに神から遠ざかってしまうという話の内容が一緒である。
東洋、西洋どちらにも人間の知恵のあやうさの神話、寓話があるというのは興味深い。

仏教では人の心のありかたとして無心が良いとされる。
反対に我が強い人間は徳が低いとされる。
我が強い人間というのは自分は賢いとおもっている思い上がった人間だ。
なぜ無心がいいのか、我が強い人間はだめなのか?
私も自分の人生の経験上、我が強いとおろかな行動をとってしまうと感じています。
我が強い人間は本当の自分を見失ってしまうからです。

これはある程度科学的に解明できる話だと思う。
我が強い人間の悪いところのひとつに物事をゆがんでみてしまうということがあると思う。
我が強いというのは言い方を変えると偏見を持っているということだ。
そして物事をゆがんでみているということは、現実を素直に受け入れる力に欠けるということ。
ひねくれた我が強い人間は、時間がたてばたつほど心の中がまちがった思い込みと偏見で満たされていきます。
どんな人間でも偏見やまちがった思い込みをもってしまうものだと思います。
だから人間は時折わが身をふりかえり反省する必要があるのです。
それはあたかもさびがついた刀をとぐようなものです。
人の心もメンテナンスをおこたると、刀や包丁のごとくさびだらけとなってしまいます。
あまりにも偏見という名のさびが心についてそれをほうっておくと、人間はさびが心なのか刀身が心なのかわからなくなってしまいます。
反省しない人間はこうして偏見やまちがえた思い込みを自分の心だと勘違いするようになりそれにしがみつくようになります。
さびだらけの心はあたかもさびた機械のように固くなり動きもわるくなります。
人間だれしも勘違いしたりまちがいやかんちがいをします。
それを改めずに長い時間放置しておくと、心のさびと偏見はすごい量になってたまります。
心がさびだらけになるとと精神的には異常な状態になり肉体的にも悪い影響がでます。
なにしろまちがった思い込みや偏見が自分の心の一部になってしまうわけですからまともな判断ができるわけはありません。
心も定期的に掃除することが大事です。

仏教、儒教、キリスト教で折にふれて反省することや、頑固な心を戒め柔軟に変化することをすすめているのはそのためです。
人間の知恵はすばらしいものですが欠点や副作用があることを偉大な先人たちは気づいていました。
これは現代に生きるわたしたちにも通じるすばらしい知恵です。

テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

日本の左翼は宗教団体からの支持をめざせ。

2/9におこなわれた東京都知事選は無所属の舛添要一さんの圧勝でした。
舛添さんは無所属ということでしたが、自民党と公明党から応援されている事実上の与党候補でした。
対抗馬として元首相の細川護熙さんが出馬したのですが共産党候補の宇都宮さんにも敗れました。
細川さんは小沢一郎グループの支持も受け、反安倍左翼の旗頭になったようでした。
私は討論会で細川さんの言ってることを聞いて時代遅れだし、人間的な魅力カリスマに欠けるとつよく感じました。
細川さんは76歳というかなりの高齢なので当然かもしれません。
くわえて細川さんの言う脱原発、脱原発で経済成長という政策は実現性がとぼしいものだと感じました。
私は細川さんが政権交代可能な二大政党制を提唱した歴史的な政治家ということもあり期待していたのですが、期待外れでした。
細川さんは総理大臣をやったときも途中でにげだすようにやめたところをみると腹のすわった人物ではないのかもしれません。


私は日本の左翼が政権担当能力がなく選挙に弱いのは宗教団体を味方につけれる度量がないことにあるようなきがする。
左翼が歴史的に宗教団体から嫌われたのは共産主義というイデオロギーのせいもあるだろう。
日本の左翼は歴史的に中国共産党と親密な関係にあった。
日本の右翼、自民党はアメリカと親密な関係にあった。
中国は宗教を認めない共産主義というイデオロギーの国である、対照的にアメリカは宗教の自由をとても重んじる国だ。
そういう政治的力学からみれば日本の宗教団体としては中国がバックにいる左翼を支持できないのは当然かもしれない。
歴史的に見ても宗教は政権をとるうえでいろいろな意味で不可欠である。
徳のある人間でなければ国を安定して統治することはできない。
中国ですら最近は宗教を認めようという動きがあるようだ。
このままでは日本の左翼だけがぽつんと世界からとりのこされるかもしれない。

最近は安倍総理もある程度アメリカから距離をおくことをめざしているようだ。
安倍総理は北方領土問題の解決、靖国参拝などアメリカのいやがることをやっている。
アメリカのケネディ駐日大使は日本がいうことをきかないのでヒステリーをおこしているようにさえみえる。
日本の自立独立をめざせばアメリカから距離をおかざるをえなくなるのは当然だ。
同じように左翼陣営や民主党もこれからは変わっていかないといけないだろう。
左翼は古い共産主義イデオロギーから脱却しなければならない、脱中国だ。
宗教団体から支持してもらえるような政党にならなければ民主党の明日はない。
共産主義というイデオロギーにとらわれず宗教団体を受け入れるだけの器の大きさが必要なのだ。
政権担当能力を持ち魅力のある候補者をだすためにも宗教を理解できるだけの精神力、宗教団体の支持は必要不可欠だ。
最低限民主党にも創価学会を味方にできるくらいの度量がほしいものだ。

テーマ : 政治・地方自治・選挙
ジャンル : 政治・経済

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怒助兵衛

Author:怒助兵衛
エッセイスト。
随筆はじめました。
マスコミが書けないタブー書きます。
政治経済、歴史、娯楽など気の向くままに随筆を書いていきます

Twitterもやってます。
@ikari_sukebei

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