レーシック 視力回復手術 助兵衛の随筆 2013年11月

安部公房のいう道とはなんだったか?

さいきん安部公房という作家の「道にこだわりすぎるものは、かえって道を見失う。」という言葉をTwitterで見て気になり、安部公房の随筆を読んでみました。
安部公房の作品を読んだことはなかったのですが、海外で人気の作家だということはしっており前から興味はもっていました。

「道にこだわりすぎるものは、かえって道を見失う。」は「道にこだわって道をうしなう」というタイトルで西日本新聞に1958年に安部公房が寄稿したエッセイのなかの一節であった。
私は安部公房がどういう意味で道という言葉を使っているかに興味がありました。
私が説明するより、この一文の前後を読んだほうがわかりやすいとおもうので下記に引用します。

道徳を二宮金次郎であらわすようなこだわりからは、早く抜け出さねばならない。
道にこだわりすぎるものは、かえって道を見失う。
二宮金次郎をふくめて、そうした道徳的偶像をすすんで破壊することのほうが、いつもはるかに道徳的な行為なのである。



わたしにとってはわかるようなわからないような話であった。
わたしの年代ではすでに二宮金次郎をまつりあげるような道徳教育はまったくといっていいほどおこなわれていなかった。
そのなごりとして二宮金次郎の像は中学校にはあったがその意味を教えられることはなかった。

どうやら安部公房のいうところの道は、日本の戦前の道徳教育をさしているようだ。
私は安部公房は道という言葉の本当の意味を知っていただろうかとおもった。
安部公房自身も彼が批判しているほかの日本人と同じように道という言葉のもつ本当の意味を理解できていなかったのではないか。
そこが私が安部公房のこの言葉に違和感を感じていた理由だったのだ。
なにかにこだわりすぎることの弊害など仏教、儒教道教どの宗教でもひとしくいましめていることだ。
儒教や道教でいうところの道は、安部公房がこのエッセイでいいたかったことよりはるかに大きなものなのである。
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怒助兵衛

Author:怒助兵衛
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