レーシック 視力回復手術 助兵衛の随筆 2009年11月

釣りキチのサトリ

昔28,9の頃ルアー釣りにのめりこんでいたことがあった。
いつものごとく休日いいお天気に近所の川で釣りをしていたところひとなつっこそうな下校途中の中学生らしき男の子が護岸の上から話しかけてきた。
「釣れますか?」
「釣れないねえ。」
ルアー釣りはえさ釣りにくらべてめったに釣れない。
東京都内の近所の川ではめったに釣れなかった。
すると、さらに中学生が私にこう尋ねた。
「ルアー釣りは釣れないからおもしろくないのに大人はなぜみんなやっているの?」
私も子供のころはルアー釣りは釣れないのでつまらないと感じていたことを思い出した。
私がルアー釣りをやっていたのは、子供のころにやりたかったのにやれなかったのと、ルアー釣りは歩き回るもので運動になるので健康のためにやっている、釣り人と交流するためなど理由はいくつかあった。
子供のころには魚を釣りたい一心でやっていたのだが、大人になれば変わるものだ。

28,9才のころ休日さかんに川に向かってルアーを投げてリールを巻いてをくりかえし、ルアー釣りを必死こいてやっているときに、「俺の人生いつも同じことのくりかえしだ」とふと頭に浮かんだ。
私はいつもなにかにとりつかれていたようになにかを追いかけてそして失敗して打ちひしがれていた。
私にとって18,9から20代のすべてが失敗つづきで失意の灰色の時代だった。
私はコンクリートで完全に護岸された人影もない川岸で言葉ではいいあらあわせないような寂寥感と敗北感を感じた。
じつにみじめで孤独な気分であった。
必死に川にルアーを投げ込むもまったくあたりもない。
ブラックバス、雷魚、シーバスたくさん釣りたくて必死に釣れる場所やルアーを探して釣っていたが、私は何匹魚を釣ったら満足するのだろうか。
その頃の私はいつもあまりにも目に見える結果に執着しすぎて、もっと人には大事なものがあることを知らなかった。
そのころの私はお金、美しい女性、社会的地位、釣った魚の数、そんな目に見えるものを必死に追いかけていました。
サン=テグジュペリの小説「星の王子さま」にでてくるきつねの名言に「ほんとうに大切なものは目に見えない」とあります。
真理とは人の外にあるものではなく、内にあるもの。
おろかな若かった私もやっとそのことに気づきはじめていたのです。
ルアー釣りは気が向いたらまたやろうと思っています、若いときとはちがった釣りがしたいものです。

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怒助兵衛

Author:怒助兵衛
エッセイスト。
随筆はじめました。
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