レーシック 視力回復手術 助兵衛の随筆 2009年08月

社会学の真髄とはなにか

大学で社会学という学問は「個人と組織(社会)の関係を考える学問である。」と教わった。
習ったときはいまいちぴんとこなかったが、社会人になり会社に属するようになって意味が分かった。
たいていの人間は国や家族や職場、友人関係といったいろいろな組織に属するが、必ずと言っていいほど個人と組織の利益は対立する。
例えばサラリーマンだったら会社という組織に属するわけだが、そのケースで考えてみよう。
会社は利益をあげるためにサラリーマンを安く長時間こきつかいたい、サラリーマンは楽して給料もらいたいというのが一般的な考え方だ。
会社(経営者、株主)とサラリーマンは対立しているのだ。
会社の力が強すぎるとサラリーマンは奴隷になるし、サラリーマンの力が強すぎると経営を圧迫して会社はつぶれてしまうかもしれない。

昭和の日本人サラリーマンは会社のために奴隷のごとく働くことを強制された。
妻や子供もかえりみず家庭を捨てることを強制された。
結果離婚や子供の非行など多くの問題がおこった。
最近熟年離婚が増えているというが、会社の奴隷になって家族を捨てたサラリーマンのいきつく悲しい終着駅である。
人間は組織とは一定の距離を置かなければならないのだ。
個人としての生活、権利を安易に捨ててはならない。
社会学が「個人と組織(社会)の関係を考える学問である。」というのはそういうことだ。
組織の奴隷になった先に待ち受けるものは個人としての生活の死である。
人間は組織に属さなければ生きていけないが、けっして組織の奴隷になってはいけないのだ。
個人としての自分、家庭の中での自分、職場での自分、人はいろいろな顔をもつがそれぞれバランスをとりながら生きていくほうが良いのではないか。
職場での自分ばかりに重きをおきすぎると、家庭と個人としての生活が崩壊するのである。
社会学はそういったバランスをどうやってとったらいいのか研究する学問だ。
日本人が真に豊かな生活を手に入れようとするならば、社会学がもっと必要とされるだろう。
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テーマ : 政治・時事問題
ジャンル : 政治・経済

なぜ日本の政治は停滞したのか?陰陽思想で謎はとける。

よく最近日本が停滞しているとなげく日本人の姿をテレビでひんぱんに目にする。
彼らは「この停滞感をなんとかしてほしい」と口々にうったえる。
なぜ日本の政治経済は停滞してしまったのだろうか?

それは日本の政治を1990年代からさかのぼって見てみると簡単にわかる。
まず1990年代におこった重要なターニングポイントは最大の野党である日本社会党の解散である。
ロシアや東欧といった社会主義の国々が崩壊しはじめ日本人は社会主義を見限った。
他にも理由があるが、社会主義国の崩壊という国際情勢は大きな日本社会党の解散理由である。
党名にもはいっている社会主義がだめだと思った国民はもう日本社会党の政治家には投票しなくなった。

ここで最大野党の日本社会党の勢いが衰えることでますます自民党一党独裁に拍車がかかってしまった。
自民党にたいする国民の支持率が上がったわけではなくむしろ下落傾向にあったのだが、最大野党がこけたことにより結果的に自民党の一党独裁は強固なものになった。
いわゆる革新勢力のおとろえは相対的に保守的である自民党の力を強めた。
日本の政治はどんどん右傾化保守化していき、革新勢力は公然と政治弾圧すら受けるようになる。
日本の政治のバランスが崩れたのだ。
保守と革新、右翼と左翼、このバランスが崩れたことが、日本が停滞している大きな原因なのだ。
権力を維持するため右傾化するたびに政治にいきづまっていった自民党が最後に選んだ総裁が極右の麻生太郎ということは、日本の政治が保守にかたよりすぎてバランスを欠いていることを如実に象徴している。

日本史、世界史を勉強すればわかるが、どの国の政治も必ず革新や変化を必要としている。
ずっと変化しない国なんてどこにもないだろう。
時には外国の良い制度を取り入れ国を合理化しなければ競争力が保てず世界の流れからとりのこされてしまう。
日本人の現在の生活を見れば百年前と比べてどれだけ欧米化しているか一目瞭然だ。
日本人は西洋の服である洋服を着て、洋食を食べ、クリスマスを祝う。
保守、右翼のように自国の文化にしがみつけば、国は進化することができずに停滞するのは自明の理なのだ。
日本の政治には革新、左翼の力も必要なのだがここ15年ほどそれはひどく抑え込まれてきた。

陰陽思想によれば、この世にあるものは陰と陽ふたつからできており、このふたつが調和している時ものごとはうまくいくという。
仏教で言うなら中庸ということだ。
例えば、陰陽思想で陽は男で陰は女であるが、どちらかいっぽうばかりたくさんいても人類は滅びてしまうだろう。
男と女が調和して同じくらいの数いることが望ましいはずだ。
勤勉に働くことは大事だが、働きすぎれば過労死する。
老人ばかり手厚く保護すれば、若者は老人を支えるための負担増に苦しむことになる。
政治はまさに陰陽であり、保守と革新のバランスをとることが大事だ。
極右のように自国の伝統文化を守ることに固執すぎれば、国は時代にあわせて変化させることができずに停滞する。
また革新の力がつよくなりすぎれば、日本人としてのアイデンティティ(誇りといってもいい)を失うことになり、人間としてのみずみずしい心や魂を失うだろう。
愛国心も度が過ぎればナショナリズムといわれるように、バランスが大事なのである。
最近多くの日本人やマスコミの間で政権交代が叫ばれているが、一党独裁ではなく二大政党制を日本人が目指そうとするのは今の日本の政治のゆがんだバランスを元にもどそうとするいいチャレンジだと思う。

余段だが、国家だけでなく人間個人としてもバランス感覚が大切である。
自公連立麻生内閣は発足以来政治家の不祥事が多発しているが、これは麻生内閣が極右思想をもった政治家によって構成されているからである。
G7を酔っ払って出席した中川昭一、大臣就任早々さまざまな団体を誹謗中傷する発言で辞任させられた中山 成彬、税金で不倫旅行した鴻池 祥肇、すべて極右政治家ではないか。(産経新聞によると愛国系政治家(笑))
人間も度が過ぎた保守、つまり極右であると、陰陽のバランスがくずれ常人には理解しがたいおろかな行動をとってしまう。
もっとはっきりいえば極右はすべからくあたまがいかれている。
麻生総理自身も例外ではなく7月末にもあほな発言をくりかえして、自分の部下である官房長官からも「みんながんばっているので総理がオウンゴール(自殺点)はやめてください。」などと言われる始末である。
自民党にとっては残念なことだが、麻生総理は人格が極右である限りおろかな言動をとりつづけてしまうだろう。
極右は現状にしがみつくことが極端に好きなので、進歩する可能性はほとんどない。
極右の発想は常に自分が正しく、他人が悪いである。
問題は彼の心、思想がかたよっていることにあり、バランスがとれていないという根本的なものだ。
聖書には「金持ちが神の国に入るよりも、ラクダが針の穴を通る方がまだ易しい。」という有名な言葉があるが、まさに麻生総理のためにあるような言葉だ。
新聞を読まない麻生総理はクリスチャンだそうだが、聖書は読んだことあるのかな。

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怒助兵衛

Author:怒助兵衛
エッセイスト。
随筆はじめました。
マスコミが書けないタブー書きます。
政治経済、歴史、娯楽など気の向くままに随筆を書いていきます

Twitterもやってます。
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