レーシック 視力回復手術 助兵衛の随筆 2009年07月

NHK「日本と朝鮮半島2000年」からあれこれ

NHKが放送しているETV特集シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」というのを見て、最近の歴史学がさらに弥生時代から飛鳥時代の日本の歴史を考古学的なアプローチから解き明かしていることがわかっておもしろかった。
今現在はのこっていないが、日本で初めて国が作った勅願寺である百済大寺が、朝鮮にあった同盟国であった百済の巨大な寺を模して作った寺であること。
また百済大寺は百済の職人が指導して作ったであろうこと。
なぜ百済が文明のおとった日本にそれだけ肩入れしてくれたかというと、当時百済は唐と新羅を相手に戦争していたので、大きな兵力を有する日本と同盟関係を強化しておきたかったからである。
韓国で発掘されていた百済にあった巨大な寺は東京ドーム5個分の敷地にたっており、仏舎利は青銅(外)、銀(中)、金(最内)の3つのいれこになった器に入っていた。
韓国でも弥生時代~飛鳥時代の遺跡の発掘がすすんでおり、日本百済連合軍が唐新羅連合軍と戦った砦跡なども調査されており驚いた。
その砦は山の上にあり、まるで要塞のように大規模なものだった。
北朝鮮も経済復興して歴史学が盛んになり遺跡が発掘調査されるようになれば新しい古代史があきらかになるだろう。
日本と高麗(今の北朝鮮あたりにあった国)は古代直接戦争したそうだからね。
残念ながら唐という大帝国に日本百済連合軍は敗北して百済は滅ぼされてしまった。
中国人は三国志を見ればわかるけど、歴史的にとんでもない戦乱を経験しており強い軍隊を持っていた。
赤壁の戦いや黄巾の乱は2世紀におきた戦争です、白村江の戦いは663年だから約400年後だね。
中国人は何百年も前から大規模な戦争をくりかえして経験しており、敗者を虐殺したりもしていました。
三国志にでてくる司馬懿は遼東の公孫淵を滅ぼした時に、7000人以上の男子を殺してその死体で門や塚をつくっている。(京観)

唐という大帝国と敵対して侵略の危機を感じた日本は兵力の強化増強や経済の効率化といった国力強化をしなければならなくなった。
唐と敵対政策をとっていた天智天皇とその母斉明天皇の時は国政に失敗や無駄が多くて民から怨嗟の声がでていた。
斉明天皇がつくった大運河は人々から狂心渠(たぶれこころのみぞ)とよばれて、重い労役に人民は苦しんだと日本書紀に書いてある。
また、子の天智天皇は都をひんぱんに変えて民を苦しめ、白村江の戦いで敗北するなどこちらも失政失敗が多く、畿内の民に不穏な動きがあったと日本書紀は伝えている。
天智天皇のあとをついだとされる古代史のスーパースター天武天皇はさまざまな経済政策をおこない今で言ういわば無駄な公共事業を廃止した。
それは天皇(おおきみ)や豪族の巨大な墓(前方後円墳)の造営の禁止である。
仁徳天皇陵を見ればわかると思うが、あんな巨大な建築物をつくるには人民に重い労役を課さなければいけないのは簡単に想像できるだろう。
しかもあんな無駄にでかい墓を日本全国につくってしまったばっかりに、都市計画にも邪魔になってしまっていた。
あんなばかでかい古墳をつくる労力を、ほかの有益な仕事をさせるようにふりかえたかったのだろう。
1979年に奈良時代初期に日本書紀の編纂にもたずさわった太安万侶の墓が奈良市から偶然発見されたのだが太安万侶のような高官の墓としてはとても規模が小さく研究者を驚かせたという。
天武天皇の改革は死後もしっかりと受け継がれていたのだ。

歴史は繰り返すというが、古代に合理化に抵抗して統治能力がなくなった天智天皇の子孫が滅ぼされて、天武天皇が唐の制度をとりいれて政治経済を合理化したながれは、今の日本の政治にもあてはまるだろう。
自民党は民の生活を守る能力を失い、国民の信頼を失ってとうとう権力の座からひきずりおろされようとしている。
天智天皇は亡くなる直前に有力な側近をたびたび集めて、息子の大友皇子への忠誠を神仏の前で誓わせた時に「もし誓いをやぶるようなことがあればそのものと子孫はかならず呪われる。」と言っておどしたという。
天智天皇の権力へのすさまじい執着を感じさせるエピソードだ。
自民党の麻生首相や細田幹事長も権力への醜い執着を連日国民に恥ずかしげもなく見せ付けている。
しかしいくら権力へ執着しようとも、肝心の統治能力、民からの信頼がなければ国を治める資格はない。
自らの手で蘇我入鹿を殺すなど暗殺をくりかえし、恐怖政治で人民を苦しめた天智天皇の王朝は滅ぼされた。
古代も現代も日本では愚かで無能な政治家や権力者は民から見放され滅んでいくのが歴史の必然なのである。
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志士ハ溝壑ニアルヲ忘レズ

「志士ハ溝壑ニアルヲ忘レズ、勇士ハソノ元を喪ウヲワスレズ」これは孔子の言葉で、吉田松陰が言った言葉として有名です。
「竜馬がゆく」といった司馬遼太郎さんの幕末ものの小説にもよくでてくる言葉です。
意味は「志士は自分が政敵から暗殺されて死体がどぶや堀に捨てられることをおそれず、勇士は戦に敗れて首を斬られることを覚悟せよ」という意味だと思っています。
ようするに志士や勇士は名誉も金もえられず、ひどい目にあっても、世のため人のために尽くすもののことだということを孔子は言いたかったのでしょう。

小泉元首相もこの言葉を国会で言ってたみたい。。
小泉さんの母校横須賀高校に吉田家の人が校長を務めることもあったらしく、吉田松陰と縁があるようだ。
ただ、小泉さんのやった俗に言う小泉改革は吉田松陰を殺した井伊大老の安政の大獄に近いところが歴史の皮肉だ。
多くの政敵を手段を選ばず追放していったやり方はまさに井伊直弼の安政の大獄そのものではないか。
小泉改革は弱者を苦しめる経済政策をとったために、自殺者は急増して一家心中もつぎつぎおこっている。
小泉元首相が国民を救う志を持った志士ではなかったということはまちがいないだろう。

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怒助兵衛

Author:怒助兵衛
エッセイスト。
随筆はじめました。
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