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アーネスト・サトウは国家神道をどう見ていたか。

本「アーネスト・サトウ神道論」におもしろいことがのっていたので、みなさんにご紹介します。

●天皇服従は政治的強制であって宗教ではない。
日本人の至高の道徳的義務は天皇の命に服することだが、それは宗教ではなく政治的強制にすぎないとしていること。神道は古代の人々の自然崇拝・祖先崇拝であるにすぎないのに、明治新政府はこれを国の宗教として位置づけているが大きな無理があると指摘している。また明治新政府が国家神道として仏教より高く位置づけたこの神道は、やがて天皇絶対制思想として先鋭化していったのであるが、明治初期においてサトウをはじめ西欧人たちはその政治的役割を早くも示唆していたのである。


アーネスト・サトウ神道論296,7Pより抜粋
アーネストサトウ、庄田元男編訳

上記の抜粋は庄田元男氏がサトウの神道論文や日本アジア協会の会員たちの神道理解を詳細に読んだうえで、彼らの神道理解をまとめたものの一部である。明治初期すでにサトウが国家神道のほころびを指摘していたことにおどろいた。そしていまだに明治政府がつくりあげた天皇への絶対服従は日本人の精神文化に巣食っている。サトウは天皇の命に服することは、政治的強制であるにすぎないと言っている。政府のいうことにしたがっているだけでは、権力者への盲従なのであるのは当然だ。そこにいかなる正義もないし、宗教や哲学でもない。それを権威づけたのが新明治政府が作り上げた国家神道である。
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仏像を救うために燃えさかる寺にとびこんだ若い貴族

662px-Namban-11.jpg

画像 南蛮屏風(クリックで拡大)
戦国時代に建てられた南蛮寺の高解像図はWikipediaにて見られます。


また歴史ネタを書きます。
1578年豊後の戦国大名大友義鎮は、1577年に薩摩の戦国大名島津義久が隣国日向に侵攻し、日向の戦国大名伊藤氏を追い出した事件をうけて、日向を取り返すために兵を挙げ島津氏に戦いを挑んだ。キリシタンとして洗礼を受けていた大友義鎮の4万の軍は日向の寺社を徹底的に破壊する。おそらくイエズス会の司祭たちが大友義鎮にそうするように仕向けたのだと思う。結果、宮崎県北部地域の近世以前の一次史料は、ほとんど壊滅的に失われているそうです。大友義鎮の軍にいたキリシタンが寺社仏閣を焼き打ちにした事件を、イエズス会の宣教師ルイス・フロイスが記録していた。今回はそれをご紹介します。


イエズス会宣教師が見た日本の神々(ゲオルク・シュールハンマー著、安田一郎訳) P20~22より引用

一五七八年九月三十日付けの臼杵(豊後)からの書簡のなかで、フロイスは、日向に侵入した薩摩の王(島津義久)の軍隊に対する豊後の王、大友義鎮<宗麟>の好戦的な計画を同僚に書いている。義鎮の三人の将軍は北から日向に侵入した<同年九月無鹿(むしか、現在延岡)を攻め、十月島津の拠点高城(宮崎県児湯郡木城町高城)を包囲>。そのとき、キリシタンの将軍ジアンは、王の命令にしたがってすべての寺を破壊した。そのとき焼失したもっとも有名な二つの寺について、フロイスは名前を挙げている。彼はつぎのように書いている。
「その国では(日向)では、とりわけ二つの寺は、すべてのなかでもっとも有名であり、そこには七つの異なった国から巡礼がいつも集まって来ていました。そのうちの一つは、ロソダキノ・ヤクシ(Loxodaquino Jacuxi)とよばれていました。兵士たちはそれを敬っただけではなく、恐れていました。そのわけは、それ[寺の神]は自分たちにしばしば公然とした罪の裁きをするからだと言っていました。兵士の大軍がそこに入って、それに供え物をし、フォットケ(Fottoque)[偶像](仏)のまえである種の飲み物を飲んでいました。ジアンはそのとき、どうしてもそこを通り過ぎねばなりませんでした。彼はそこで行われていることを見て立腹し、悪魔がそのように崇められている寺をほっておくことができませんでした。そこで彼は、寺の裏に行き、礼拝堂(拝殿)の側面に火をつけました。火は激しく燃え始めました。なかにいた兵士たちは自分の生命を救うために大急ぎで飛び出してきました。だが一人の若い貴族ージアンが住んでいる城の城主の弟ーはフォットケ・ヤクシの不幸な運命を見るにしのびませんでした。彼は、それを敬い、崇めているために、高潔な奉仕をしようと決心しました。彼はむこうみずにも、荒れ狂う火災をいわば忘れて、燃えさかる寺に突進し、祭壇から仏の立像を取りました。そのとき彼は顔がやけどするのを避けることができませんでした。しかし生命に最大の危険が迫っているなかで、彼は仏を寺院のそばに横たえました。
このときジアンの別の異教徒の部下が通り過ぎました。彼は主人に奉仕し、好意を見せようと思って足元の仏をとって、それを火中になげこみました。それで、それは燃えて灰になってしまいました。
それはその土地の土着の人々に改めて驚きをよび起しました。そして彼らは、『寺と仏を燃やした人が罰を受けないですんだ理由がわからないし、またそれを救うために火のなかに突進した人が、やけどをし、生命の危険にさらされた理由がわからない』と、ひそかに言いました。」(カルタス、407)



このエピソードはルイスフロイス「日本史」には掲載されていません。
カルタスとはルイスフロイスが日本から送った書簡のことです。
ロソダキノヤクシというのは熊野権現であり祭神は国常立尊(本地 薬師如来)をおまつりしていたのであろう。
ジアンは将軍とされているが、これはおそらく誇張で城主以下の侍だったろう。
ルイス・フロイスは日本での布教の成果を誇張するためにしばしば日本のキリシタンの社会的地位をかさあげして報告した。
このルイスフロイスの書簡でおもしろいのは、異教徒である若い貴族(城主の弟)がキリシタンのジアンという侍が寺院に火をつけ荒れ狂う火の中仏像をとりにいったことを高潔な奉仕としていることです。
ルイスフロイスは日本史のなかでたびたび仏教の僧や神社の神を悪魔と書いています。
そのルイスフロイスが身の危険をかえりみずに燃えさかる寺に仏像をとりにいった異教徒の行為を高潔な奉仕としたのはおもしろいです。
若い貴族の自己犠牲、献身的な神への奉仕がルイスフロイスの心をうったのでしょうか。
現代に生きる私もこの話を聞いてなにやら心打たれるものを感じました。
若い貴族はやけどをおいながらも仏像を燃えさかる寺から救い出すことに一旦は成功しましたが、すぐにジアンの部下によりその仏像はまた燃やされてしまいます。
仏像を救うという点では彼の行為は無駄でした。
しかし彼の行為は異教徒であるルイスフロイスの胸をうつものがあり書簡に記録され、現代日本人である私の胸をもうつのです。
無私の行為であることが時代を超えて人を感動させるのではないでしょうか。

テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

原爆投下に抗議したアメリカ宗教指導者、トルーマンの返信

Samuel Cavert
画像 サミュエル・カヴァート キリスト教会連盟事務局長

有馬哲夫著の「アレン・ダレス」という本がおもしろかったので、みなさんに一部内容をご紹介します。
太平洋戦争前後の歴史で私の知らなかった話をいくつも知ることができました。
歴史好きなら楽しめる本です。
アレン・ダレスはCIAの五代目長官であり、この本は彼のルーツの解説からはじまり、外交官としての活躍、アメリカのたちあげた新インテリジェンス機関への参加、そして第二次世界大戦での活躍で終わるノンフィクション大作。
有馬哲夫さんは早稲田大学の教授、機密解除されたアメリカCIAの文書などを研究して『原発、正力、CIA』などの著作を発表しておられます。

さて、今回ご紹介するのは、「アレン・ダレス」に掲載されている2つの興味深い歴史資料です。
「アレン・ダレス」の中で太平洋戦争中、アメリカのトルーマン大統領の命令をうけてアメリカ軍が広島に原爆投下した直後にアメリカ・キリスト教会連盟事務局長が送ったトルーマン大統領への抗議の電報が掲載されている。(下記引用1)

一九四五年八月九日
アメリカ合衆国大統領
ハリー・S・トルーマン閣下

キリスト教徒の多くは日本の都市に対する原爆の使用に深く心を痛めています。その使用が不可避的に無差別破壊をもたらし、人類の将来にとってきわめて危険な前例になるからです。連盟会長ビショップ・オクスナムと同連盟の恒久的平和委員会の委員長ジョン・フォスター・ダレスは、明日、次のような報道向けの声明を出すつもりです。
 すなわち原爆は人類(アメリカという国家にではなく)に託されたものとみなすべきだということ、そして、日本国民には新型爆弾に関する事実を確認し降伏条件を受け入れるのに十分な機会と時間が与えられるべきだということ。
日本国民にはこれ以上の原爆による破壊がもたらされる前に、日本が最後通告について考え直す十分な機会を与えられるよう謹んでお願い申し上げます。

サミュエル・マクリー・カヴァート
アメリカ・キリスト教会連盟事務局長


私はアメリカ人全体が日本への原爆投下を支持しているような誤解をしていたのですこし驚きました。
また、いかに政治的思惑のある抗議とはいえ、アメリカの聖職者が民間人の無差別大量虐殺にたいして即座に抗議の声をあげてくれたのは少し救われる気がいたします。
またそれに対するトルーマン大統領がアメリカ・キリスト教会連盟事務局長に返信した手紙も掲載されています。(下記引用2)

一九四五年八月一一日
拝啓 カヴァート様
八月九日付で電報をいただきありがとうございました。
私ほど原爆の使用に心を痛めている人間はいません。しかしながら、私は日本の宣戦布告なき真珠湾攻撃と戦争捕虜の虐殺にも非常に心を痛めました。彼ら(日本人)が理解する唯一の言葉というのは、私たちが彼らを攻撃するときに使う言葉のようです。
けだものと接する時はそれをけだものとして扱わなければなりません。非常に残念なことですが、それが真実です。
敬具
ハリー・S・トルーマン

サミュエル・マクリー・カヴァート
アメリカ・キリスト教会連盟事務局長
ニューヨーク州ニューヨーク



政敵からの抗議文に対して強くでたという部分もあると思いますが、トルーマン大統領が当時の日本人をどう見ていたかがうかがえる文章です。
有馬さんはトルーマンの手紙の「When you have to deal with a beast you have to treat him as a beast.」の部分を「けだものと接する時はそれをけだものとして扱わなければなりません。」と訳しています。
私はdeal wihは殺す、処理するという意味で使われているのではないかと思います。
「けものを処理する(殺す)時は、かれをけものとして扱わなければならない」という意味でトルーマン大統領は言っているのではないかと思いました。
どちらの資料もWebで見ることが出来ます。(英語です。)
Cable on use of the Bomb on Japan
Correspondence between Harry S. Truman and Samuel Cavert, August 11, 1945. Official File, Truman Papers.

しかしこの本を読んでまたひとつ疑問がうかびました。
なぜアメリカ、トルーマン大統領は朝鮮戦争のときは原爆を使わなかったのでしょうか?
いやはや私にはまだまだわからないことだらけです。

「アレン・ダレス」この資料のほかにも見所はいっぱいあります。
今まで闇につつまれていたアメリカが太平洋戦争末期、日本に無条件降伏させた交渉も書かれています。
アレン・ダレスが天皇制存続のために日本のイシュタブリッシュメントにだした条件とはなにか?
あまり書くとネタバレになりますので、ぜひ本を読んでご確認ください。

テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

児玉誉士夫自伝「悪政・銃声・乱世」のおもしろかった話。

seiyakusyo

↑画像クリックすると拡大します。
画像 児玉が立会って書かせた誓約書

児玉誉士夫自伝「悪政・銃声・乱世」(広済堂出版)という本を読みました。
本のタイトルどおり内容は児玉誉士夫自身が書いた自伝なのですが、「悪政・銃声・乱世」とは戦前の日本の政治を悪政、戦中の日本の政治を銃声、戦後の日本の政治を乱世とした児玉の歴史観からとられている。
「悪政・銃声・乱世」という本のタイトルを見たときなんともセンスのない無骨な名前だなと思ったが、その由来を聞いてみるとなかなかおもしろい。
なぜこんなマニアックな本を読んだかというと、有馬哲夫教授の著作によく児玉誉士夫が重要人物としてでてくるので興味を持ったからです。
児玉誉士夫はCIAと深い関係を持っていた人物なのですが、「悪政・銃声・乱世」ではそこはほとんど触れられておりません。
そこを期待してこの本を読んだ私としてはちょっとがっかりでした。

上の画像は児玉誉士夫自伝「悪政・銃声・乱世」から引用した念書である。
この念書は大野伴睦が次期総裁として自分をおすことを岸信介に約束させたものである。
ちなみに念書で書かせて、総裁選での支持をとりつけたはずだったのだが、大野伴睦は一度も総裁になれなかった。
念書に戦前官僚出身である岸信介と佐藤栄作の署名に花押が入っているのがおもしろい。
密約書に花押とは、戦前の官僚OBは優雅なものです。

Wikipediaによると、岸信介は総裁選で支持する約束を反故にしたあげくに、「床の間に肥溜めをおけるわけがない」と言ったそうな。
岸は大野のような馬鹿を党の看板である総裁にできるかってことを言いたかったんでしょう。
まあこんな誓約書を書かせる根性がいやらしいですわな。

本のエピソードでもうひとつおもしろかったのが、敗戦直後児玉誉士夫が鳩山一郎に巨額の財政支援(原資は海軍の秘密資金)をするときにだしたたった一つの条件だ。
それは天皇制の護持だ。
鳩山一郎もそれを言われた時に「それは絶対、そうせねばならない」と言ったそうな。
極右ともいってい右翼活動家の児玉と、政界を代表する政党人政治家であった鳩山が天皇制護持という一点においては意見が同じだったというのはおもしろい。
これはけっこう深い意味があるんじゃないかと思っています。
なぜ日本人は敗戦後も天皇制を護持したのかっていうのは近代史のひとつの謎ですわな。
私は単純に日本には天皇制が必要だったからだと思っています。
敗戦直後の日本のイシュタブリッシュメントは日本には引き続き天皇制が必要だと感じていました。
占領軍であるアメリカもそれを認めました。
さあなんで必要なのでしょうか?
それがわかるようになれば、日本の政治史に対する理解も深まると思います。

テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

大和の語源

ヤマトは日本中によくある地名だ。
意味はヤマの入り口、ヤマのへりというような意味らしい。
特に日本史上有名なヤマトは今の奈良盆地のあたりのヤマトであろう。
奈良盆地には古墳時代から奈良時代に大王(おおきみ)の支配する藤原京や平城京といった古代日本の首都がおかれた。
その日本の首都たるヤマトに、当時の日本人は大和という漢字をあてた。
大和朝廷という言葉が有名ですね。

大和という漢字の本来の意味は道教(神道)で、天皇という道教の最高神が支配する天上世界での争いのない究極の平和な世界のことを言うらしい。
古来日本を支配した大和朝廷の権力者たちは、ヤマトという土地に平和の願いや天皇が支配する土地という意味をこめて大和という漢字をあてたのだろう。
西暦2010年現在でも世界中で戦争やテロは続いており、平和とは言いがたく、平和は人類の大きな課題であり願いである。
1400年以上昔の日本人も現代人と同じように平和を願っていたというのは感慨深い。
私は日本人の一人として、われわれのご先祖様がこのような高い精神文化を持っていたことは誇らしい。

かなり時代はくだり、昭和時代の日本で大和は、戦艦の名前にもつけられる。
当時世界最大の戦艦だった戦艦大和だ。
当時の日本は莫大な国費を戦艦大和建造に費やしたが、戦艦大和は戦争でまったく活躍できなかったので日本の三大バカ事業の一つに数えられている。
兵器に大和と名づけるとはおそろしい罰当たりなネーミングだ。
おそらく戦艦に大和と名づけた人は本来の意味を知らなかっただろうね。
戦艦大和をつくった当時の日本人はじつにバカだが、ネーミングセンスもなかったといえるでしょう。
現代人は古代人より物質に恵まれた生活をしていると思うが、心や精神は古代人より豊かであるといえるでしょうか?

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怒助兵衛

Author:怒助兵衛
エッセイスト。
随筆はじめました。
マスコミが書けないタブー書きます。
政治経済、歴史、娯楽など気の向くままに随筆を書いていきます

Twitterもやってます。
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