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「竜馬がゆく」は日本政府が書かせたのか?

町田明広著『新説 坂本龍馬』という本を読みました。この本は2019年に出版されたもので最新の歴史研究の成果が反映されており坂本龍馬の歴史を知ることができます。
今日の記事はこの本のまとめでではなく、その中でちょっと気になる主張があったのでその内容の真偽をたしかめていこうと思います。著者は「敗戦後、国家を上げて明治100年を祝賀し、その時流の中で国民的作家である司馬遼太郎は歴史小説『竜馬がゆく』を執筆し、龍馬を未曾有の英雄として世に送り出して、高度経済成長期を迎える日本人に勇気を与えました。」と主張しています。
しかし竜馬がゆくが産経新聞に連載されていたのは1962~1966年。明治100年の1968年より早い時期だ。直接的な関係はないのではないか。しかし明治百年より前に日本政府が直接的、間接的に司馬遼太郎に働きかけて「竜馬がゆく」を執筆させたことはありうる。国民的作家司馬遼太郎はある意味官製だったのではないか?
なぜ司馬遼太郎は竜馬がゆくを書き始めたのか?ネットで調べてみたところ柳生龍氏のブログ記事「司馬はなぜ『竜馬がゆく』を執筆したのか」に興味深い話がのっておりました。
まず司馬遼太郎に産経新聞水野成夫社長から執筆依頼が来てその後に後輩で高知県出身の渡辺司郎氏に坂本龍馬について書いてくれとたのまれたそうな。司馬遼太郎はそのときは聞き流したが、他の資料を見ている時に龍馬がでてくることが続いたので龍馬の魅力がわかるようになり龍馬がゆくを書くことにあいなったそうな。「竜馬がゆく」が世に出る前は西郷隆盛や勝海舟のほうが人気があったそうです。
うがった見方をすれば日本政府が産経新聞社長に明治維新百年に関する小説を書くように依頼し、産経新聞社長が司馬遼太郎に命じたとみることもできます。あの時代は日本政府、官僚の力は今よりもずっと強かったでしょう。また産経新聞はその社風から明治維新百年には協力するでしょう。当然政府への協力の見返りに利益供与があるでしょう。竜馬がゆくを書かせたのも実は官僚だったかもしれません。そうすると司馬遼太郎が官僚びいきだった理由もわかる気がします。
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白井権八と小紫を知っていますか?

今回は歴史のお話です。「ドイツ公使の見た明治維新 M.V. ブラント著」という本を読んだのですが、そこで江戸時代、白井権八という追剥とその情婦吉原の遊女小紫のことを知りました。この白井権八いまでいうところの強盗殺人をした武士でございます。しかもどうも殺された人が一人や二人ではなく百人以上だそうな。吉原へ通う金が欲しかったらしい。白井権八じつは本名を平井権八というそうである。権八が死んだ後に歌舞伎、浄瑠璃や映画化された時の役名が白井。のちに自首して25歳で刑死。小紫はあとを追うように権八の墓の前で自害したそうな。
そしてブラントが日本に駐在していた幕末、この権八と小紫の墓に不幸な恋に悩むものが多く訪れ、お祈りをして花を供えていたそうな。多くのものが訪れていたようでブラントは花がたえるのを見たことがないと言っている。
権八も小紫もとくになにか偉業をなしたわけでもなく、むしろ凶悪犯罪者とその情婦である。なぜこういった人間たちが人気をはくしたのだろうか。そこに日本人の精神文化を感じる。江戸時代から歌舞伎や浄瑠璃で人気だったからだろうか?Wikiによると権八と小紫を題材とした映画が1956年まで何回も制作されているようだ。それとも遊女の不幸な恋に共感するものが二人の墓をおとずれているのか。今では目黒不動瀧泉寺に権八と小紫の墓があるという。今でも日本人はこの二人の墓まいりにいっているだろうか。

アーネスト・サトウは国家神道をどう見ていたか。

本「アーネスト・サトウ神道論」におもしろいことがのっていたので、みなさんにご紹介します。

●天皇服従は政治的強制であって宗教ではない。
日本人の至高の道徳的義務は天皇の命に服することだが、それは宗教ではなく政治的強制にすぎないとしていること。神道は古代の人々の自然崇拝・祖先崇拝であるにすぎないのに、明治新政府はこれを国の宗教として位置づけているが大きな無理があると指摘している。また明治新政府が国家神道として仏教より高く位置づけたこの神道は、やがて天皇絶対制思想として先鋭化していったのであるが、明治初期においてサトウをはじめ西欧人たちはその政治的役割を早くも示唆していたのである。


アーネスト・サトウ神道論296,7Pより抜粋
アーネストサトウ、庄田元男編訳

上記の抜粋は庄田元男氏がサトウの神道論文や日本アジア協会の会員たちの神道理解を詳細に読んだうえで、彼らの神道理解をまとめたものの一部である。明治初期すでにサトウが国家神道のほころびを指摘していたことにおどろいた。そしていまだに明治政府がつくりあげた天皇への絶対服従は日本人の精神文化に巣食っている。サトウは天皇の命に服することは、政治的強制であるにすぎないと言っている。政府のいうことにしたがっているだけでは、権力者への盲従なのであるのは当然だ。そこにいかなる正義もないし、宗教や哲学でもない。それを権威づけたのが新明治政府が作り上げた国家神道である。

仏像を救うために燃えさかる寺にとびこんだ若い貴族

662px-Namban-11.jpg

画像 南蛮屏風(クリックで拡大)
戦国時代に建てられた南蛮寺の高解像図はWikipediaにて見られます。


また歴史ネタを書きます。
1578年豊後の戦国大名大友義鎮は、1577年に薩摩の戦国大名島津義久が隣国日向に侵攻し、日向の戦国大名伊藤氏を追い出した事件をうけて、日向を取り返すために兵を挙げ島津氏に戦いを挑んだ。キリシタンとして洗礼を受けていた大友義鎮の4万の軍は日向の寺社を徹底的に破壊する。おそらくイエズス会の司祭たちが大友義鎮にそうするように仕向けたのだと思う。結果、宮崎県北部地域の近世以前の一次史料は、ほとんど壊滅的に失われているそうです。大友義鎮の軍にいたキリシタンが寺社仏閣を焼き打ちにした事件を、イエズス会の宣教師ルイス・フロイスが記録していた。今回はそれをご紹介します。


イエズス会宣教師が見た日本の神々(ゲオルク・シュールハンマー著、安田一郎訳) P20~22より引用

一五七八年九月三十日付けの臼杵(豊後)からの書簡のなかで、フロイスは、日向に侵入した薩摩の王(島津義久)の軍隊に対する豊後の王、大友義鎮<宗麟>の好戦的な計画を同僚に書いている。義鎮の三人の将軍は北から日向に侵入した<同年九月無鹿(むしか、現在延岡)を攻め、十月島津の拠点高城(宮崎県児湯郡木城町高城)を包囲>。そのとき、キリシタンの将軍ジアンは、王の命令にしたがってすべての寺を破壊した。そのとき焼失したもっとも有名な二つの寺について、フロイスは名前を挙げている。彼はつぎのように書いている。
「その国では(日向)では、とりわけ二つの寺は、すべてのなかでもっとも有名であり、そこには七つの異なった国から巡礼がいつも集まって来ていました。そのうちの一つは、ロソダキノ・ヤクシ(Loxodaquino Jacuxi)とよばれていました。兵士たちはそれを敬っただけではなく、恐れていました。そのわけは、それ[寺の神]は自分たちにしばしば公然とした罪の裁きをするからだと言っていました。兵士の大軍がそこに入って、それに供え物をし、フォットケ(Fottoque)[偶像](仏)のまえである種の飲み物を飲んでいました。ジアンはそのとき、どうしてもそこを通り過ぎねばなりませんでした。彼はそこで行われていることを見て立腹し、悪魔がそのように崇められている寺をほっておくことができませんでした。そこで彼は、寺の裏に行き、礼拝堂(拝殿)の側面に火をつけました。火は激しく燃え始めました。なかにいた兵士たちは自分の生命を救うために大急ぎで飛び出してきました。だが一人の若い貴族ージアンが住んでいる城の城主の弟ーはフォットケ・ヤクシの不幸な運命を見るにしのびませんでした。彼は、それを敬い、崇めているために、高潔な奉仕をしようと決心しました。彼はむこうみずにも、荒れ狂う火災をいわば忘れて、燃えさかる寺に突進し、祭壇から仏の立像を取りました。そのとき彼は顔がやけどするのを避けることができませんでした。しかし生命に最大の危険が迫っているなかで、彼は仏を寺院のそばに横たえました。
このときジアンの別の異教徒の部下が通り過ぎました。彼は主人に奉仕し、好意を見せようと思って足元の仏をとって、それを火中になげこみました。それで、それは燃えて灰になってしまいました。
それはその土地の土着の人々に改めて驚きをよび起しました。そして彼らは、『寺と仏を燃やした人が罰を受けないですんだ理由がわからないし、またそれを救うために火のなかに突進した人が、やけどをし、生命の危険にさらされた理由がわからない』と、ひそかに言いました。」(カルタス、407)



このエピソードはルイスフロイス「日本史」には掲載されていません。
カルタスとはルイスフロイスが日本から送った書簡のことです。
ロソダキノヤクシというのは熊野権現であり祭神は国常立尊(本地 薬師如来)をおまつりしていたのであろう。
ジアンは将軍とされているが、これはおそらく誇張で城主以下の侍だったろう。
ルイス・フロイスは日本での布教の成果を誇張するためにしばしば日本のキリシタンの社会的地位をかさあげして報告した。
このルイスフロイスの書簡でおもしろいのは、異教徒である若い貴族(城主の弟)がキリシタンのジアンという侍が寺院に火をつけ荒れ狂う火の中仏像をとりにいったことを高潔な奉仕としていることです。
ルイスフロイスは日本史のなかでたびたび仏教の僧や神社の神を悪魔と書いています。
そのルイスフロイスが身の危険をかえりみずに燃えさかる寺に仏像をとりにいった異教徒の行為を高潔な奉仕としたのはおもしろいです。
若い貴族の自己犠牲、献身的な神への奉仕がルイスフロイスの心をうったのでしょうか。
現代に生きる私もこの話を聞いてなにやら心打たれるものを感じました。
若い貴族はやけどをおいながらも仏像を燃えさかる寺から救い出すことに一旦は成功しましたが、すぐにジアンの部下によりその仏像はまた燃やされてしまいます。
仏像を救うという点では彼の行為は無駄でした。
しかし彼の行為は異教徒であるルイスフロイスの胸をうつものがあり書簡に記録され、現代日本人である私の胸をもうつのです。
無私の行為であることが時代を超えて人を感動させるのではないでしょうか。

テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

原爆投下に抗議したアメリカ宗教指導者、トルーマンの返信

Samuel Cavert
画像 サミュエル・カヴァート キリスト教会連盟事務局長

有馬哲夫著の「アレン・ダレス」という本がおもしろかったので、みなさんに一部内容をご紹介します。
太平洋戦争前後の歴史で私の知らなかった話をいくつも知ることができました。
歴史好きなら楽しめる本です。
アレン・ダレスはCIAの五代目長官であり、この本は彼のルーツの解説からはじまり、外交官としての活躍、アメリカのたちあげた新インテリジェンス機関への参加、そして第二次世界大戦での活躍で終わるノンフィクション大作。
有馬哲夫さんは早稲田大学の教授、機密解除されたアメリカCIAの文書などを研究して『原発、正力、CIA』などの著作を発表しておられます。

さて、今回ご紹介するのは、「アレン・ダレス」に掲載されている2つの興味深い歴史資料です。
「アレン・ダレス」の中で太平洋戦争中、アメリカのトルーマン大統領の命令をうけてアメリカ軍が広島に原爆投下した直後にアメリカ・キリスト教会連盟事務局長が送ったトルーマン大統領への抗議の電報が掲載されている。(下記引用1)

一九四五年八月九日
アメリカ合衆国大統領
ハリー・S・トルーマン閣下

キリスト教徒の多くは日本の都市に対する原爆の使用に深く心を痛めています。その使用が不可避的に無差別破壊をもたらし、人類の将来にとってきわめて危険な前例になるからです。連盟会長ビショップ・オクスナムと同連盟の恒久的平和委員会の委員長ジョン・フォスター・ダレスは、明日、次のような報道向けの声明を出すつもりです。
 すなわち原爆は人類(アメリカという国家にではなく)に託されたものとみなすべきだということ、そして、日本国民には新型爆弾に関する事実を確認し降伏条件を受け入れるのに十分な機会と時間が与えられるべきだということ。
日本国民にはこれ以上の原爆による破壊がもたらされる前に、日本が最後通告について考え直す十分な機会を与えられるよう謹んでお願い申し上げます。

サミュエル・マクリー・カヴァート
アメリカ・キリスト教会連盟事務局長


私はアメリカ人全体が日本への原爆投下を支持しているような誤解をしていたのですこし驚きました。
また、いかに政治的思惑のある抗議とはいえ、アメリカの聖職者が民間人の無差別大量虐殺にたいして即座に抗議の声をあげてくれたのは少し救われる気がいたします。
またそれに対するトルーマン大統領がアメリカ・キリスト教会連盟事務局長に返信した手紙も掲載されています。(下記引用2)

一九四五年八月一一日
拝啓 カヴァート様
八月九日付で電報をいただきありがとうございました。
私ほど原爆の使用に心を痛めている人間はいません。しかしながら、私は日本の宣戦布告なき真珠湾攻撃と戦争捕虜の虐殺にも非常に心を痛めました。彼ら(日本人)が理解する唯一の言葉というのは、私たちが彼らを攻撃するときに使う言葉のようです。
けだものと接する時はそれをけだものとして扱わなければなりません。非常に残念なことですが、それが真実です。
敬具
ハリー・S・トルーマン

サミュエル・マクリー・カヴァート
アメリカ・キリスト教会連盟事務局長
ニューヨーク州ニューヨーク



政敵からの抗議文に対して強くでたという部分もあると思いますが、トルーマン大統領が当時の日本人をどう見ていたかがうかがえる文章です。
有馬さんはトルーマンの手紙の「When you have to deal with a beast you have to treat him as a beast.」の部分を「けだものと接する時はそれをけだものとして扱わなければなりません。」と訳しています。
私はdeal wihは殺す、処理するという意味で使われているのではないかと思います。
「けものを処理する(殺す)時は、かれをけものとして扱わなければならない」という意味でトルーマン大統領は言っているのではないかと思いました。
どちらの資料もWebで見ることが出来ます。(英語です。)
Cable on use of the Bomb on Japan
Correspondence between Harry S. Truman and Samuel Cavert, August 11, 1945. Official File, Truman Papers.

しかしこの本を読んでまたひとつ疑問がうかびました。
なぜアメリカ、トルーマン大統領は朝鮮戦争のときは原爆を使わなかったのでしょうか?
いやはや私にはまだまだわからないことだらけです。

「アレン・ダレス」この資料のほかにも見所はいっぱいあります。
今まで闇につつまれていたアメリカが太平洋戦争末期、日本に無条件降伏させた交渉も書かれています。
アレン・ダレスが天皇制存続のために日本のイシュタブリッシュメントにだした条件とはなにか?
あまり書くとネタバレになりますので、ぜひ本を読んでご確認ください。

テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

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怒助兵衛

Author:怒助兵衛
エッセイスト。
随筆はじめました。
マスコミが書けないタブー書きます。
政治経済、歴史、娯楽など気の向くままに随筆を書いていきます

Twitterもやってます。
@ikari_sukebei

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